Yesって言うより、Noって言う方が難しい。
何かやるよとか、参加するよとか、には理由はいらない。
けど、「しない」という意思表明をするときにはそれなりの理由が必要になる。
それは、無罪の証明にも似ている。
有罪の証明は簡単なのだ。
目の前にある証拠を並べていけばいい。
しかし、無罪は「ない」ということをあらゆる角度から検証して、
確かにその事実がなかったと言うことを立証する必要がある。
非常にやっかいだ。
「しない」という意思表明は消極的と取られる。
面倒だからとか尻込みしてるとか。
ま、実際にそう言うときもあるんだけど、
もっと積極的に「しない」という判断を下しているということもある。
自分が出した「しない」結論に対して何度も説明を求められると、
正直ちょっと無罪の立証を考えてる気分になる。
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